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8月2日の夜、長岡の花火を見てきました。
といっても、長岡まで見に行ったわけではなく、
夜8時からのNHKの「陽炎の辻」(主演:山本耕史)を見終わってから、
ぴよ子とちび子を連れて、近所の田んぼまで行っただけですがw
風向きや視界が悪いと花火は見えないのですが、
昨日は花火の煙が少しかかっていたものの、
高さのある花火があがると、
煙の上に花火が出るので、一部の花火だけは見えました。
音はかなり遅れますが、よく聞こえました。
←真ん中に、うっすらと花火が見えます。
肉眼ではもうちょっとはっきり見えました。
最近の花火大会は、他の地域では土日に合わせた日程に変わっているところも多いのですが、
長岡の花火は、曜日に関係無く、8月2、3日と決まっています。
そして、灯篭流しは8月1日です。
なぜ土日に合わせた日程変更をしないのかというと、
長岡の花火大会は、夏の祭ではなく、
1945年8月1日(2日未明)の長岡空襲の慰霊の為だからです。
この夜、長岡は町の規模にはそぐわない程の大量の爆弾の雨が降り、
町は焼け野原となり、大勢の人が亡くなりました。
八王子の空襲と同じ日です。
なぜ町の規模に合わないくらい大量の爆弾が投下されたのか、
長岡が山本五十六元帥の出身地だから、という説もありますが、実際のところはわかりません。
長岡の花火が実家の地区からも見えたくらいなので、
空襲の時の炎はよく見えたことでしょう…。
私が子供の頃、近所のお寺の住職さんが、
「長岡の空襲の時、長岡の方がとても赤く明るかった。」
とおっしゃっていたのを思い出しました。
その赤い空の下、長岡の人達はどんな思いで逃げ、亡くなっていったのか。
それを眺めるしかできなかった人達も、どんな思いで赤い空を見つめていたのでしょうか。
花火が華やかに上がる現代は、平和なのでしょうか。
世界のどこかでは、まだまだ争いが続いています…。
花火を見ていたら、
足元に小さな影が動いているのに気付きました。
子猫でした。
私達が持っていた懐中電灯の光に惹かれたようです。
「可愛い!」と手を伸ばすぴよ子からは逃げていましたが、
なぜか私の足に擦り寄っていました。
子猫に気を取られていたら、
気が付いたときには、
長岡の花火のラストの「フェニックス」の、
一番最後の六連の花火が打ちあがっていました。
首輪が無かったので、野良かと思います。
空襲の慰霊なのですが、それを知らない人もいるようです。
灯篭流しも慰霊の為ですが、願い事を書いて流す人が以前いたそうで…。
夏のこの日に花火を上げ始めたのは戦後すぐだそうですが、「空襲を思い出すから。」と見れない人もいらっしゃるそうです。
(H13.10.28生)と
ちび子改め、年中児「チーコ」
(H17.6.13生)の母です
基本はダラ母
ただし、楽しいコトにはシャカリキ
旦那は正体不明の謎男
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